まるで宗教みたい・・
って、なんのことだと思いますか?
実は、私は4年近く熱心な糖質制限食信者だったんだけど、
事情があって改宗して、
半年まえから脂質制限食信者になりました。
(というか、お肉は少な目で、玄米と野菜と豆をいっぱい食べることに)
その宗教(糖質制限)に入信してる時は、
ほんと、盲信していて、
その教義に心酔して、
『本当に良いものにめぐり合えたしあわせ』にひたり、
熱心に布教活動(周りに奨める)までしたりしてました。
その宗教に没頭してると、
その宗教の矛盾点や欠点を指摘されても、
まったく聞く耳はなく、
逆にその相手を無知呼ばわりして敵意むきだしになったりして。
そもそも、
糖尿病予備軍の私はせっぱつまっていて、
高い血糖値を下げたくて飛びついた糖質制限。
始めてすぐ体重は急に減るし、血糖値もぐんと下がるし、
空腹も感じないし、手のしびれもなくなるし、
奇跡をみたような感動で、一気に信じてしまった。
糖質をとらなければ血糖値は上がらない。
こんなあたりまえすぎるあたりまえ体操。
糖質制限をして、
血糖値が下がっただけで、
糖尿病のリスクから解放されたと思ってた。
おにぎりを食べるより鶏のから揚げ食べるほうがマシ。
というより、
むしろお肉や油やチーズや卵を推奨されてて、
MEC食という『お肉・卵・チーズ』のみで生きる派閥もあるのだ。
糖質以外はどれだけ食べてもいいというルールで、
今思うと、私の食生活は異常だった。
ケンタッキーフライドチキン率が高かった。
毎日カマンベールチーズを1パック食べていた。
根菜類やトマトや果物はうんと控えめにしなければならなかった。
芋も、豆もNG。
ローソンのブランパンや紀文の低糖質麺を大量に買ってた。
すべての基準が『糖質の量』に変わった。
でも、おかしいなんて思ってなくて、
これで血糖値が下がり、
糖尿病にもならなくて健康でいられる、
なんてすばらしいんだろう、
ありがとうございます、江部先生。
と、江部先生を教祖様みたいに信奉してました。
家には先生の著作(経典)がいっぱいあって、
先生のブログもすみずみまで読んでいて、
いい信者だったと思うのだけど。
なんか・・
なんか・・おかしい
と思いだしてから、
信仰心崩壊までは早かった。
それは・・
数字に表れた。
なぜか、
糖質制限をするうちに、
早朝の「空腹時血糖値」がどんどん高くなっていく。
120台から、ひどい時は140.150台の時まで。
食後血糖値は、
糖質をとらなければあまり上がらない。
が、
ちょっとでも糖質をとったら、
・・おにぎり1個とか食べた日には、
350とか信じられないような爆上げをするようになった。
おかしい。。。
糖質制限をして、
Hba1cはさがって、
すい臓の機能もよくなってインシュリンの出もよくなって、
もうなんの心配もないはずなのに、
なにこれ。
悪化してるんじゃね?
いや、そんなはずはない。
この糖質制限こそが私を救う唯一の道。
疑うことが間違ってる。
でも、
なんかおかしい気が。
って、そこから、
今まで無視してきた
アンチ糖質制限の人たちの書いてるものも読んでみたり、
自分の症状を冷静に考えてみたら、
ゆっくりとゆっくりと、
自分でかけていた洗脳が解けて、
わたし、まちがってたわ、お母さん
ってなりました。
特に、腑に落ちたのは、
どこかに書いてあった、
『糖質をとらずに糖尿病を治そうというのは、
サッカーボールに全く触らないでサッカーうまくなりたいと言ってるようなもの』
という文章。
このまま、糖質をとらないでずっと過ごすことは、
自分の膵臓がもうインシュリンを出す働きをしなくなっていくのかも。
いいと思っていたことが、
まさかの逆効果どころか致命的な害になっていたとは。
で、いろいろ調べて、
半年前・・というか正確には昨年11月末に、
まえの教義を捨て、コンバートいたした次第。
玄米や全粒粉のパンなど、なるべく精製してないもの、
野菜、豆、芋、海藻、キノコ類、くだものをこれでもかと食べ、
肉や魚・乳製品は最小限。卵もほとんど食べない。
特に肉は油の少ない物を少しだけ、
ソーセージやハム・などの加工品も最小限に。。。
なかなか完璧にはできないので、
意識だけは高くしてるつもり。
でも、どれも前の糖質制限時には考えられないような食事になってる。
そして。
改宗して半年ちょっとで。
朝の、血糖値は、
100を超えることはなくなった。
大体90台。
たまに80台の時もある。
おにぎり食べても爆上がりしない。
食後2時間で140くらいには下がっている。
すい臓が、ちゃんと機能し始めてる気がする。
今度は、ほんとうに信じていい道なのか。
あんなに信じて、信じて、信じて、
すべてを捧げてもいいとさえ思えるほど、
すばらしい唯一の道だと思っていたのに、
そうじゃなかったと気付いたときのショックときたら・・
そして、信仰が、愛が深かったぶん、
その反動で、
誤った教義への不信と嫌悪、憎しみにまで似た感情が湧いてくる。
べつにいっぱい献金したわけでもないのに。
さあ、わたしの信仰は、
このまま一生続くのか、
また改宗があるのか、
ぜんぜんわからない。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
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